われは草なりー高見 順ー

私が私で居られるのは両親、家族、友達、仕事の仲間や仲のいい友達たち
それと共にとても感銘を受けたものがあります


われは草なり

  われは草なり
  伸びんとす
  伸びられぬ日は
  伸びぬなり
  伸びられる日は
  伸びるなり
  
  
  われは草なり
  緑なり
  全身すべて
  緑なり
  
  
  毎年かわらず
  緑なり
  緑の己れに
  あきぬなり
  
  
  われは草なり
  緑なり
  緑の深きを
  願うなり
  
  
  ああ 生きる日の
  美しき
  ああ 生きる日の
  楽しさよ
  われは草なり
  生きんとす
  草のいのちを
  生きんとす

 ..........(高見順「重量喪失」より)


悲しくて辛くて寂しくて、一人でいることに耐えられないときにこれを読みます
気持ちはすぐには落ち着きません
でも、人の生きるうえでかけがえのないことを教えてくれていると思います

高校1年の娘によく言って聞かせることがあります
たいがいは学校で友達と何かあって落ち込んで、暗い顔をして帰宅してくるときです
涙を流して悔しがっているときもありましたし、娘を抱っこすることに全く抵抗を感じない私は
すかさず娘を膝に乗せて言います
「一人で生きることは出来ないけれど、一人でいることも大切なんだ。だから一人でいることを
恐れないで孤独を楽しみなさい」と

夫は私に言いました
「俺なんかは会社でいつも孤独だよ」と

でも家族がいることで私達は幸せを感じます
実家の両親より長い間独身時代を経て結婚をし今の家族と暮らしています
絆なんて考えたことは正直言ってありません、ただそこに、ここに家族がいることで
生きる術の意味を見出します

それでも虚しくなったときに「われはくさなり」を開きます



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